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人間にとって、その人生は作品である

人生という脚本を書いてみる!

非常識を肯定するブログとは!

落語

こんにちはkazuです。

どれが『落語』?どれも『落語』! - 人間にとって、その人生は作品である

 こんな本を読んじゃったから迷う。

落語とは非常識の肯定である。

とあるが、落語で肯定 している事、自分ならどう伝えるか。

昨日のブログ、

ユーモアで行こう! - 人間にとって、その人生は作品である

 その前の幾つかの記事で偏りすぎた、ちゃんと書けてないって、

自分のなかで「ブログ書いてるなら、もっとちゃんと書かなければいけない」って

思った。これも常識を考えての事。

自分の非常識な部分を出してはいけないと無意識に感じる。

いや、無意識ではない。長い年月刷り込まれてきたものだ。

しばらくすると、ブログを書く事も辛くなる。

そのはずだ、「常識しか書けないブログ」なにが楽しいのか。

俺には楽しくない。

非常識をどう伝えるか。

非常識をそのまま伝えては、ただの不快感しか残らない。

書くと言う事は、しゃべると違って強弱がつけにくい。

長く書けば伝わるというものでもない。

非常識を肯定する落語という物を引用して伝える事が出来る。

その落語を知らなければ意味がないが!

立川談志曰く『落語とは、人間の業の肯定である。』

 寄ってたかって「人間を一人前にする」という理由で教育され、社会に組み込まれるが、当然それを嫌がるやつも出てくる。曰ク、不良だ、親不だ、

世間知らずだ、立川談志だ、とこうなる。

 それらを落語は見事に認めている。それどころか、常識とも非常識ともつかない。それ以前の人間の心の奥の、ドロドロした、まるでまとまらない

モノまで、時には肯定している。それが談志のいう「落語」であり、「落語とは、人間の業の肯定である」ということであります。

 ”なら、いいこと、立派なことをするのも業ですネ”と言われれば、”そうだろう”ではあるものの、そっちの業は、どっかで胡散臭い。

 まだ「世間様」が通用していた時代に創られた落語のネタの中には”いいほう”の業も肯定し、それを土台にしたものもある。つまり親孝行を喋りながら親不孝を認めるわけだが、結局、それら(いいほうの業)をどこかでバカにしていた。

 世の常識、非常識をいろいろな部分から表現している諸々の芸やら芸術やら、つまり音楽の、絵画の、文学の、とは一味も二味も違うのだ。

やっぱり常識しか書けないと胡散臭くなるわけだ。

どこの部分で非常識やまとまらないモノを肯定しているのか、楽しみである。

もっと言えば、どのような表現をしているのか?そう思って聴くのが楽しみである。

 

生きていくために常識を教えられる。非常識な事は教えてくれない。

なぜか?非常識な事は自分の周り以外で起きると楽しいから!

自分の周りでは起きては困るんです。人に笑われるから!

笑われたくないんでしょうね。芸人さん以外は!

おしり出したり、バカな事言ったり、非常識な事だから面白い、でも『下品』だね。

日本人、『品』があって『粋』だね!じゃなきゃ。

やっぱり『落語』を聴くべきだ!

「品」があって、「粋」な男。 - 人間にとって、その人生は作品である

こうでなければいけない。こうしなければよかった。そんな事を思って過ごしていた。

1ヶ月ほど自分がやってきた事を責めていた。

そんな時に出会った『落語』。解放してくれた。

非常識な事をしたくなる時もある。した事を後悔する時もある。自己嫌悪になる。

そんな時こそ『落語』を聞いてほしい。

自分が感じたように何かが変わるから!

『落語』にドップリ - 人間にとって、その人生は作品である