人間にとって、その人生は作品である

人生という脚本を書いてみる!

「銭を払って聞きたいと思わせるのは志ん朝だけ」立川談志。

こんばんはkazuです。

落語名人会(17)

落語名人会(17)

 

井戸の茶碗

 麻布茗荷谷に住むくず屋の清兵衛、人呼んで正直清兵衛。清正公(せいしょうこう)様脇の裏長屋で何処と無く品のある十七,八の娘に呼ばれる。貧乏浪人の千代田卜斎(ぼくさい)から普段扱わない仏像を二百文で預かる。それ以上に売れたら折半との約束で!

白金の細川家の屋敷で呼び止められ、籠に入った仏像を腹籠りと勘違いし、細川家の家来・高木佐久左衛門が三百文で買い上げてくれる。

高木が仏像をぬるま湯で洗っていると、底に張ってあった紙がはがれ、ゴトっとぬるま湯の中に何か落ちた。中の仏様が出てきたと思ったら、五十両の金が出てきた。

「仏像は買ったが五十両は買った覚えはない。自分の物ではないので、売り主(卜斎)に返してやれ」と、清兵衛に渡すが、卜斎は、「売った仏像から何が出 ようとも自分の物ではない」と受け取らない。清兵衛が、高木と卜斎の間を行ったりきたりするがらちがあかない。

困った挙げ句家主に相談すると、家主は「高 木に二十両、卜斎に二十両、清兵衛に十両」の案を出す。高木は納得するが、卜斎は納得しない。

「どんな物でも先方に渡し金を受け取れば、貰った事にはならない」と、家主が勧め、やっと納得した卜斎はいつも使っている古く茶渋で汚れた茶碗を渡し二十両の金を受け取る。

この美談が細川の殿様の耳に入り、「茶碗が見たい」と言う。高木が茶碗をお見せすると、たまたま、出入りの目利きが拝見し、これが何と名器「井戸の茶碗」だと判り、殿様が三百両で買い上げる。

このお金を見て高木は考え込んでしまった。清兵衛も困ったが、先例にならい半分の百五十両を卜斎の元に届けると、卜斎も困ったが考えたあげく、「もう渡す物もない。独身の高木殿は正直なお方の様だから娘を嫁に差し上げ、結納代わりなら金を受け取る」と、言う。

さっそく清兵衛が高木にこの事を伝えて、「良い娘だからお貰いになりなさい。今は貧乏でひどいナリをしているが、高木様の手で磨いてご覧なさい、美人になりますよ」。

「いやぁ、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」。

素人の俺が聴いても!

すごすぎる。こうやって『落語』と言う物にはまっていくんだろうね!

上手く共生しながら過ごしますか。